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VVFのルーツ

VVFとは「600Vビニル絶縁ビニルシースケーブル平型」の略称で、昭和39年(1964年)3月にJIS規格が制定、改称されるまでは関西ではVA(Vinyl Armor)、関東ではF(Flat)と呼ばれていました。

VVFと言えば、その構造は電気を通す銅線(1.6Φ~2.6Φ)をビニルで絶縁し、2~3条をならべてビニルシースで覆ったシンプルな形状のケーブルですが、低圧屋内配線用として、住宅内配電用に、照明、エアコン、換気扇、コンセントなどの回路に欠かすことのできないモノになっています。弊社では、バリエーションとして、カラーVVF、4心VVF、Gタフライン、200タフラインなどのさまざまな開発商品を世に送り出してきました。

今や電気工事に欠かせないケーブルとなっているものの、このVVFが我が国に誕生した経緯、発祥についてはあまり語られることもなく、記録もなかったため、弊社の故林専務がVVFに関る業界人として、そのルーツを辿り、平成2年(1990年)3月産業新聞に「VVFのルーツを辿って」(当時弊社常務取締役 林晴彦 著)という記事を連載されました。その「VVFのルーツ」についてご紹介いたします。

VVFのルーツを辿って

昭和31年(1956年)3月31日、東京にある日本生産性本部が電気工事に関する戦後初の視察団十数名を米国に派遣した。この中に当時中国電気工事株式会社(現在の株式会社中電工)の総務部長の古賀七郎氏がいた。帰国後の発表会では何故か寡黙であった古賀氏は帰社後早々に現地で撮影してきたスライドを映写しながら米国電気工事の現況を説明した。当時のわが国の天井裏配線は「がいし引き工事」が常識ですべての規定もそれを指示していた。ところがスライドに映し出された米国の電気工事は今までに見たこともない「ころがし配線」であった。物資のあれだけ豊かな米国でさえこの通り合理化されている。近い将来わが国の電気工事も必ずこうなる、いや、こうならなければならない、と古賀氏は熱っぽく説いた。

そして密かに単身マグロウヒルの書店に赴いて入手してきた工事基準・工事方法に関する本、パンフレット類の翻訳と分析を指示し、こうした資料に基づき、とにかく工事の状態が一目で分かるようなサンプルを作ろうと言うことになり、当時立町にあった本社ビルの四階にバラックを建て、モデルになる工事現場を再現した。もちろん資材はすべて資料と記録に基づき手持ちのそれらしきものに改良を加えて使用したが、電線に関してはスライドで見た断面の四角いものがなかったのでSV(VVR)を使用した。しかし使用したSVでは、どうしても端末処理の「段ムキ」がしにくい。「段ムキ」がしやすく、ステップルで簡単に止められるようなもの等を考案し、電線メーカー数社に試作を依頼した。何度となく作り直したとのことだったが、こうして日本で初めてのVVF(当時のVA)が誕生した。
現在もこのVVFの製造にあたり、規格にはないが、忘れてはならない重要なポイントの「剥離性」が、すでにこの頃から追及されていたことが興味深い。

さて、工事のモデルが出来たので、先ずは工事方法の許可を得ることに古賀氏は奔走した。広島通産局、日本電設工業会、電力会社へ、電気工事の将来を見据えた理論と熱意をもって働きかけ、やがて新方式の工事方法が許可されることになった。この歴史に残る新工事方法による第一号工事は、PR効果狙いもあって今の広島県安芸郡坂町にあった中国電力の「坂の散宿所」(今で言うサービスステーション)で施工された。当時は業界の話題となり、連日各電力会社をはじめ工事関係者が訪れた。もちろん使用された電線は「VA」で、これが我が国で最初に配線されたVVFであった。

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